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舞戸地区 舞戸地区の紹介
 鰺ヶ沢町の中心街で、白神山地の玄関口としてJR鰺ヶ沢駅があります。元相撲力士の舞の海は、この舞戸地区出身で今も生家があります。
舞戸町のいい所
 三内丸山遺跡に負けない縄文時代早期(9500年前)の土器が発見された鳴戸遺跡や正八幡宮の神楽に毎年行なわれる舞戸小学校の相撲大会は舞の海関が相撲をとるきっかけとなった。
舞戸町のこれから
 舞戸町を流れる中村川が家庭から流れる生活排水などで汚れてきているので昔の清らかな川に戻すのが今後の目標

中村地区 中村地区の紹介 TOP
 この地区は案山子ロードと言われ、この地区を通と、数多くのおもしろいかかしが、脇道にあります。弘前市に一番近い地域でもあります。
中村町のいい所
 三年間に駐在所がなくなったのをきっかけに自分達の町は自分達で守ろうと結成された「かかしの里安全活動隊」上は80歳代から下は20歳代での81人で構成され主な活動として警察の許可を得て青色回転燈を二台購入しパトロールカーにつけて町内をパトロールし防犯の効果をあげている。また町内会連合会と防犯活動隊に協力してもらい町内の街灯を青色に変える事により、子供達の防犯にも繋がっている。もう一つの活動は一人暮らしの老人の家の屋根の雪下ろしやパトロール中も声掛けなどをして町民一体となって防犯5000日を達成した。

 中村町にはもう一つ自慢がある、主要地方道鯵ヶ沢・弘前線沿いに稲穂が出始める頃になると並ぶかかしロードだ、婦人部を中心とした「せせらぎ会」が主体となり、地域活性化の為に毎年かかしを町内の保育園児や小学生、お年寄り達に協力を仰ぎ昨年は51体をかかしロードに立てて、土日には地元の特産物やアイスクリームの販売などを行なっている、また米の収穫期を終えると案山子を労い供養祭を行なっている。
中村町のこれから
 中村町の心無い人によって盗まれたりしていたが、回転燈の効果によって激減した為今後もパトロールを充実させ野生の熊・猿などの被害にも対応したいと考えている。

鳴沢地区 鳴沢地区の紹介 TOP
 鰺ヶ沢町の北西に位置し、民宿なおじろうは、海の幸を使った「なおじろうラーメン」が有名です。
 七里長浜は、砂浜が何十キロにもわたり、中世の日本海を北前船で交易をしていた安東水軍の館があった十三湊(とさみなと)まで続いています。津軽の文化が偲ばれる地区です。


七里長浜漁港
冬になるとハタハタが釣れる
七里長浜漁港入口
鳴沢町のいい所
 鳴沢地区の南浮田集落に「戸波城(とわじょう)跡」があります。規模・城主などがわからず「幻の城」と言われていたのですが、最近城郭研究者の調査によって東西1キロ余りを城域とする巨大な城である事が判明した事により青森県の中世史は大きく書き換えられるのでは言われています。

 また、南浮田東端の小高い丘に土饅頭形の三つに折れた「公墓(きみはか)」と称する古墳跡があります。これに対して鳴沢小学校西端に残念ながら校舎新築の際になくなってしまいましたが「姫墓(ひめはか)」というのもあり、お互いに慕い合って夜毎に行き来したと言う伝説が今なお残っています。そんなミステリアスが沢山あるところが鳴沢町の自慢です。
鳴沢町のこれから
 「快適で安全な生活確保」をテーマに住民の助け合い・協力の精神に高齢者や子ども達を守る為ににはボランティア活動の推進、人材バンクとの連携などを住民の理解を得て早急に設置するのが今後の課題。


ヶ沢地区
鰺ヶ沢地区の紹介 TOP
 鰺ヶ沢地区は港に近く今でも漁港がありますが、昔は津軽藩の番所で、北前船の寄港地だったために、町奉行所の足跡があり、今でも跡地の地下からは、地下水が沸いています。

 また、港町をとどめ、市場から近い事もあり、「海の駅」という道の駅があり、多くの買い物客でにぎわっています。日本海の海・山・川の幸が季節を通して買い物することかできます。
 二階は、「鰺ヶ沢相撲館」として元力士の舞の海の相撲グッズが展示してあり無料で見学することができます。


漁港から見た海 漁港の市場
イカ釣り船
鯵ヶ沢地区のいい所
 明治22年の町村施行時からの旧鯵ヶ沢町を中心とした鯵ヶ沢地区。藩政時代、鯵ヶ沢湊は津軽藩の御用港として北前船の往来で賑わい政治経済の中心として、今なお、鯵ヶ沢町の人口の3割を占める中心地。

 また、200年以上の歴史を持つ寺院が一箇所に数ヶ寺集中している地帯は寺院街の景観が有り、本町にある神社「白八幡宮」の歴史は古く津軽三八幡宮と称され船絵馬など北前船にあつわる資料が多く4年に一度開かれるお神輿行列と山車行列の「白八幡宮大祭」は北前船によって運ばれた津軽の京祭りとして320年の歴史を誇る。
鯵ヶ沢地区のこれから
 白八幡宮大祭の行なわれない3年間はねぷた祭りが行なわれていたが人手不足と金銭面でねぷたを出せなくなった町内も出てきているので「鯵ヶ沢まちづくり倶楽部」を発足し、ねぷた祭りの活性化や歴史を活かした歴史マップの作成。文化財調査などに取り組んでいる。

赤石地区 赤石地区の紹介 TOP
 弘前城を建てた初代の津軽藩の殿様である、大浦為信公の先祖が種里に城を造くったということで、津軽藩発祥の地と言われています。この地区は赤石川という金鮎が捕れる川があったり、くろくまの滝など、全国から多くの方が訪れる地域です。


初秋の赤石川
鮎釣り客もほとんどいない
赤石川にすすきも出始めた
赤石地区のいい所
 赤石地区と言えばやはり、「赤石またぎ」が上げられる。赤石またぎは赤石川沿いの一ツ森・大然(おおじかり)部落が中心であったが狩猟期になって山に入る時にマタギの組織をして熊狩を行なった。山に入る前はお宮にお神酒を供えて、安全と大猟を祈願し、山に入ると日常語は禁じられ、マタギ言葉を使い、熊を捕った後は「ケボカイ」と呼ばれる解体儀式を行なうなど神秘的な部分が沢山ある。

 また、赤石地区には、津軽藩発祥の地とされる種里がある。種里には、「光信公の館」と呼ばれる種里城があり、5月下旬になるとぼたん祭りが行なわれる。

日照田町高倉神社鳥居
津軽三十三観音第八札所
秘伝本尊は十一面観音で、その昔若者の姿に身を変えてこの村の田畑を手伝ったという伝説が残っている
高倉神社にあるイチョウの木、樹齢800年、幹周り8m、このイチョウの葉が落ちると根雪になると言われている
イカ焼きロードのイカの生干し
イカ焼きロード
赤石地区のこれから
 赤石町では昨年からお年寄りを中心に「街中ウォーキング」を行なっている。体力向上を兼ねて50人程で村を回り昔と今を比べたり、庭の花を眺めたりしながら、歩いて発見したのが沢山ある「蔵」である。そこでその蔵を活用して何か出来ないかと色々と試行錯誤を重ねている。
 もう一つはお年よりの憩いの場として戦争時代のビデオやDVDを見ながら昔を思い出し、更にそれを子ども達に語り次ぐ事によりお年寄り達が元気を取り戻し、それが町の活性化に繋がればと考えている。

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